今乃かおりのプロフィール

はじめまして!この度は今乃かおりのプロフィールに興味を持っていただき、ありがとうございます。

私は小さい頃からこの世界に”生きづらさ”を感じる人間でした。大人になってもそれは相変わらずでしたが、とある転機によって体・心・そして人生が一変する体験をしました。

無限にある星のように、人の人生もまた千差万別です。その中の一つである私の体験が、果たしてあなたのお役に立つのかどうかは分かりません。でも”伝えたい”ー。

そんな衝動まじりの想いに駆り立てられたことが、このブログを始めるキッカケとなりました。

このブログでは私のリアルな体験を通した『日々の考え』『食関連』、そして新たな挑戦でもある『アート活動』に関する情報を発信しています。

以前はいろんなことに絶望し、光と闇のコントラストが色濃いこの世界を嫌っていた私。

でも実はそれこそが醍醐味であり、美しさでもあったのだと今は感じるのです。

今の私は昔の在り方からどんどん解放され、以前よりもずっとずーっとラクに軽やかに、日々幸せを感じながら生きています。今が一番幸せです^^

このブログが、縁あって訪れてくれたあなたのお役に立てれば、とても嬉しく思います。

以下、私の一部をご紹介しています。よろしければご覧ください^^

幼少時代

体は弱いけど、いつも笑顔でやんちゃな子供

顔がなぜか傷だらけ。そしてこれは当時ハマっていた謎ポーズ。

昭和と平成が切り替わるあたりの年代に山形で誕生した私。生まれつき体が弱めの子供でした。昔からお薬ばかり飲んでいた名残りで、薬やサプリメントを飲むことは今でもかなり得意です(笑)

そんな『病院がお友達』のような子でしたが、だからと言って悲観することもなく、日々を楽しみながらあっけらかんと生きていました。

いつもカメラの前で変なポーズをとって家族を笑わせたり、指に三角型のスナック菓子をはめて「見て見て〜」とキャッキャしたり。あとは、ミニボトルの乳酸菌飲料を強く吸って、わざと口の周りに跡をつけて周囲を笑かすような、そんな子供だったかな。

アニメと絵にのめり込む日々

幼稚園の頃は、とにかくアニメに夢中でした。

私にとって1990年代のアニメは今でも好きで覚えてるくらい、印象的なものばかり。(月の姫のやつとか!)

アニメ以外では『絵を描く事』に大ハマり。来る日も来る日も女の子ばかり描いてたようです。いろんなコンクールにも出展したらしいのですが、その記憶ははほとんどありません。

だけど、一つだけ覚えてるのが「ごはんお米と私」という、確かそんな名前のコンクール。口いっぱいにごはんを頬張る女の子を、幼稚園の机の上で描いた記憶が今でもぼんやりと残っています。

絵を描くことはとても楽しかったな。自分の好きな色で、好きなように、制限なしに、感じたままに描けるから。

周りを一切気にすることなく表現し、好きなことに没頭し続けた日々は、今思い返しても鮮やかに輝いていて。それは私にとって”自由そのもの”でした。

暗黒の学生時代

始まりは小学校でのとある出来事

幼少期はいつも自分が何を好きで何が嫌いか?何をしたくて何をしたくないのか?それをありのままに表現して生きていました。周りを気にすることなんて一切なく。

それは人生は、おのおのが素直に自由に生きることが最高で、幸せなんだというような、うーん…上手く言えないのですが、そんな感じのスタンスが私の中に常にあったからです。

小学校に入ってからもそんな感じでした。ですがとあることがきっかけで、そのスタンスは閉じていくことになります。

そのきっかけとは、突然のムシやイタズラなどでした。理由を聞いても教えてもらえず、それがとても悲しかったな。

昨日まで仲良くしていた子に、次の日には突然そっぽを向かれる。裏で画策される。そういう人間の豹変ぶりに人生で初めて触れ、子供ながらにゾッとしたのを今でも覚えています。

『私って、人を傷付けて不快にしていたのかな?だとしたら、どうするのが正解だったのかな?』と自問自答の日々。出口のない迷路に迷い込んだようでした。

イタズラはずっと続いたわけではありませんでしたが、そのあと風の噂で「私の自由奔放なところがイヤだった」ということを知りました。

これがキッカケで私は『やっぱりそうか。私の在り方は、人を不快にするんだな。じゃあ、なるべくひっそりと生きよう。自分を隠していれば、もうこんな怖い思いをしないはずだ。こんな悲しい気持ち、もう2度とごめんだ!』そう固く心に誓いました。

それからの私はいつも人の顔色をうかがい、影に隠れるように生きていくことになるのです。

つらい中にも学びはあった

辛かった出来事でしたが、これを違う角度から見た時、私を成長させてくれていたということに気付いたのです。『人それぞれの違いがあることへの認識と尊重』や『違う価値観同士の中での、円滑な人間関係を学ぶ機会』という風に。

私は元来個性が強めの自由な人間です。(自分ではあまり自覚がないのですが^^;)良くも悪くも空気が読めない部分がありました。だからきっと気付かないところで、たくさんの人を傷付けてきたんだろうな、と思います。

この体験によって私は”コミュニケーションが上手な子を観察して真似る”ことを覚えます。すると次第に、人のちょっとした仕草や目線・声色・雰囲気で、相手が今どう思っているのかが分かるようになっていました。(これは今も役立ってるスキル^^)

それでもうまくいかないこともあったし、たくさん空回りもしました。だけど、がむしゃらに試行錯誤し続けた小中高専時代。(学校特有の集団生活が本当に苦手だったのです)

友人もいたし、楽しかったことももちろんありましたが、あの閉鎖的な空間や、目には見えずとも存在するヒエラルキーがこれまた本当に苦手で…。私にとってはまさに”暗黒時代”だったのです。

暗黒時代の中で思ったのは起こったことは変えられないけど、そこから何を気付くのか?それをどう活かしていくのか?そういう”自分の捉え方次第”で、悲劇か喜劇か決まるんだ。ということ。”周りのせいじゃなくて、自分なんだ”という気付きです。

思えばこのあたりから『自分とは?』などの『内側の世界』について興味が出ていたのだと思います。(深く学び始めるのは、ずっと先になってからですが)

…とまあ、こんな感じで生きてきましたが、『自分を隠して生きる』ということは基本やはり負荷でしかなかったのでしょう。モヤモヤした違和感は常にあったのです。

違和感は次第に大きくなり、それに伴って『本来の自分』と『かりそめの自分』のバランスが崩れていった私。深く深く光の届かない深海へ潜るように、『本来の自分の感覚』を忘れていきました…。

今乃かおり

正直言うと、この状態はつい数年前まで続いていたんです。

恐るべし(^^;)

早くも人生の選択失敗か?!

高校後は調理の専門学校へ進学。家が食関係の仕事をしていたので、家族の勧めでもありました。でも本音は……絵の道へ進むことでした。

私の人生にとって絵だけが唯一『自由』を感じられることだったから。あの場所へ戻りたい、と思っていたから。

それなのに「絵でなんて食べていけないし、何より本音を伝えて口論になったり、期待を裏切ってがっかりされるのが怖い!」という『かりそめの自分のクセ』がニョキっと現れて、結局食の道へ進むことに。本当にどっぷりと『熟睡』していたんですよね…。人生の大事な大事な岐路なのに。

そんなこんなで、波乱のスタートかと思われた調理師学校の生活。不安に思いながらも、いざ始まってみると、想像していたよりずっと自分に合っていて驚きました。クリエイティブな部分が性に合っていたのかな?と思います。

日々専門的な知識や技術を学ぶ中で食は体と心を作るための重要な基盤なんだと改めて気付かされました。

そして料理とは、周りの人も自分も幸せにしてくれるWIN-WINなツールなんだということも。

ベタだけど、自分が作った料理を美味しいと食べてくれて、その人が喜んでくれる。それを見て自分も嬉しくなってしまう。

誰かの為が自分の為にもなるなんて、なんて素敵なんだろう…!と思いました。

こんな風に、料理の奥深さにすっかり魅了されていった私。…結果オーライですね!笑

特大の体調不良がやってきた

専門学校を卒業し、その後社会人生活を送っていた2017年のある時、今まで経験したことのない体調不良に見舞われることになります。

この出来事が引き金となり、長年はりつめていた緊張の糸が切れてしまいました。

何を見ても、何も感じない。感情が全て無くなり、本当に目の前がモノクロに映りました。『私は大多数の人が経験するであろう普通の幸せを、享受できないのかもしれない。それでも生きてる。なんでだろう…。』という疎外感と虚無感で胸が押しつぶされそうでした。多分これが『絶望』という感覚だったのだと思います。

今乃かおり

こうやって改めて自分の人生を振り返ってみると、人生前半はずっと暗い話ばかりですね…。申し訳ない^^;)でもここから巻き返しターンへ!

不思議な体験

そんな、もんもんとした日々の中である時突然『あ、私の人生はここで切り変わるんだ。ここが人生のターニングポイントなんだな。』ということが『わかった』という瞬間がありました。

まだ見えない先のことなのに『わかった(理解し、確信した)』という感覚は生まれてはじめて。

驚くことに、この感覚の通りに、そこからの人生がガラッと切り替わっていったのです。

『食のスタイルの変化』によって。

現在の私

約2年間ヴィーガンを経験、今はWFPB食を取り入れる

私の食遍歴は実に様々。初めはWFPB食を、次にヴィーガン、それからしばらくの間ゆるいベジタリアンでしたが、ここ最近(2024年)ではまたWFPB食に舞い戻って、積極的に取り入れる日々を送っています。(このブログで紹介しているレシピは、ゆるいベジタリアンの頃に執筆していたものがほとんどです。)

『WFPB』を聞き慣れない方も多分多いかと思うので、ちょっと説明を。

WFPBとはホールフード・プラントベースという意味で、端的に言えば植物ベースで食材を丸ごと食べる食事のことを指します。

ゆるいベジタリアンの頃は、植物ベースだからといって精製されたものをたくさん摂っていました。ベジタリアンも良かったけれどちょっと思うところがあって、やっぱりもう一度WFPB食に回帰しようと決意。”ホールフードの恩恵”を、今度はしっっかり体感してみたくなったんですよね(^^)

WFPB、ヴィーガン、ベジタリアンと色々渡り歩きましたが、これら『プラントベース食』の特に凄かったところは、体重のコントロールがたやすいという点でした。始まりである2017年から確か1年半〜2年くらいでー15kg減し、それ以降現在まで、体重が2017年の頃に戻ることは一度もありませんでした。もちろん日々増減はありましたが、すぐに戻るんですよね。これには本当に驚かされました。

私はカロリー計算や厳しい食事制限は一切していません。毎日しっかり食べていてこの結果なので、これは間違いなく食を変えたおかげ。『植物の底知れぬパワー』に、私は今もなお魅了され続けているのです(^^)

いろんな種類のフルーツ

…でも正直、私の中では体重が減った事よりも嬉しかった事があります。

それは以前よりもずっとずっーーーーーーと体が元気になったこと!!! \(✳︎^^✳︎)/!!!

私にとってそれは、どんなものよりも価値のあることでした。

食を変えたら、体と”マインド”の両方が変化した

食べるものを変えたら、体の変化に加えて”マインド”の方にも変化が訪れました。

例えば、今までなら気にも留めないような些細なことに、喜び・豊かさを感じられるようになりました。『好き/嫌い/したい/したくない』のようなシンプルな感覚が蘇り、感性が以前にも増して更に豊かになったのです。

そうです。その在り方は、子供の頃の”本来の自分”そのもの。

『懐かしい場所に戻ってきたんだ!』という希望に満ちた感覚で胸がいっぱいでした。

『諦めなくて良かった。色々あったけど、歩み続けてきて良かったなぁ…。』と心から思います。

私に訪れた、体と心の大変容。

そう、それはまるで生きながら生まれ変わったかのようでした。

くま

サイトのブログ名『もぐもぐりぼーん』の『りぼーん』は、この ”生まれ変わる=Reborn”から名付けたんだよ^^

私がこの食の変化で得た学びは『食を整えると、自然と人生までもが変化していく』ということでした。

そこから、今までの苦しみ、悩み、迷い、後悔、絶望、失敗だと思えた選択さえもが、実は間違いなど一つもなく、ただただ全てが『今へ至るための必要なピース』だったということもわかったのです。

光も闇もどれか一つでも欠けていたら、今の私にはなれなかった。言い方を変えれば、今の私があるのは、喜びだけじゃなく、苦しみ・悲しみなどの闇も含めた全体験のおかげ。

だから『今までの全てにありがとう』という気持ちなんです。

そしてそんな風に思えるようになったことが、ただただ嬉しいのでした。

道は続いていく

これからもきっと、いろんな事を体験していくでしょう。

嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと。ありとあらゆる、いろんな事を。

でもその全ては必ず”どこか”へ続いている。

その”どこか”を現時点にいる私は知ることはできないけれど、点と点が繋がる時は必ず来る。きっとどこかへ繋がっている。そう、今までのように。

私が出来ることは、その”点”である”今現在”を精一杯生きるだけなんじゃないかな、と思っています。

先のことは何もわかりません。

だけど、それでも私の心に灯った小さな光を羅針盤にして、光が指し示す方へ歩み続けていくだけです。

いつどうなるのかもわからないのが人生です。みんな誰しも有限の中を生きている。限りがある。だからこそ『自分を生きること』に注力して、日々の美しさを見つめながら、これからも私らしく歩んでいきたいと思います^^

私のプロフィールは以上になります。

長文を最後まで読んでいただき、本当に嬉しいです!お疲れ様でした。

本当にありがとうございました!