『どうやら私は自分に厳しいらしい』という落雷的気付きと、そこから得たもの

いきなりですが、私が長年手放せなかった『自分に厳しい』という概念に対して、大きな気付きがつい先日ありました。その時の感覚を忘れないうちに書いてみました。私のように『自分自身に厳しいなぁ』と感じている方へは、何かしら伝わるかも?と思うので、よろしければご覧ください^^

それは、行きつけの美容院で起こった

2021年頃から幼少からの夢でもあった画家活動を始めた私。

画家活動の中で少しずつ動きが出てきて、ある時ご縁があって本に自分の絵が掲載されるということがありました。ちょうど美容院へ行く日にその本が届いたので、思い切って美容師さんに報告したんです。

(それがこの本。p.60に私の作品が掲載されています^^)

自分の絵が載った本を、そして絵を、この時初めて家族以外に見てもらいました。(自信が弱めの私は、これだけですでに勇気を振り絞りながら!)

そして『おめでとうございます!素敵ですね!』と言っていただけて嬉しかったのも束の間、その後のセリフに、私は思考停止することになるのです。

衝撃的な○○○

思考停止した言葉。それは『お祝いしましたか?』という言葉でした。

・・・別にこれ、珍しい言葉でもなんでもないですよね?

むしろ多分、ごく普通のセリフではないかと思います。

でも私は、このセリフを聞いた時『はて?お祝いとは何に対して??』と冗談抜きで本気で思っていました。

そうなんです。私の中には、この一件(絵が掲載されたこと)に対して『お祝いをする』という概念が全くなかったんです。

なぜかというと、新人の自分が自分の絵を本に載せるという事はどうゆうことなのか、後になって色々とわかったことがあったからでした。本当に駆け出しでしたので、絵の世界について何にもわからなくて(^^;)

(本への掲載は基本『お誘いありき』。お声をかけていただけたからこそ、この貴重な経験ができたのはとても有り難かったし、嬉しかったのは本当に本当なのですが…)

なのですが、そういう現実を知った時、そして他のアーティストさんと自分の差を比べてしまう時(よくあるやつ。十人十色のアートの世界で『比較する』って意味がないのにしてしまう私)、心の中で『自分はまだまだなんだから、こんなことで喜んでいてはダメだ。精進せねば!』みたいな思考でいっぱいだったのです。

…そう、私の長年のクセである素直になれない(この場合”素直に喜べない”)が発動したのです。

私の絵を掲載したいと思ってくれて、声をかけてくださった事務局さんの思いを。

家族や美容師さんの祝福の言葉を。

何より、『あーでもないこーでもない』と試行錯誤しながら、その時のできる限りの力で絵と向き合っていた、あの時の一所懸命だった自分自身を。

私は『まだまだ未熟だ』という修行僧のような意識で、実はそれらの想いを踏みにじっていたという事に気付き、愕然としました。

ただ子供のように素直に喜ぶだけで良かった

今になって思うのは、そんな否定、本当はしなくて良かったんですよね。

ただただ素直に喜べは良かっただけ。だって嬉しかったから…。

『こんなんじゃまだまだだ』なんて叱咤、いらない。ポイでいい。今来たプレゼントを受け取らないで、一体いつ受け取るのか?そんなんじゃ、何が来ても一生受け取れないぞ私。そういう修行僧みたいな、謙遜が良しみたいな意識、本当にいらなかった。肩肘張ってたなーと思い知りました。

本当は、素直な気持ちは、お声をかけていただいた時、本当ーに嬉しかった。人生初の”本に載る”というご縁ができて『やったー!』だった。『やったー!』だけで良かったんです。

まだまだ”とか言って自分を傷付けないで、嬉しいと思った感情を、現状をちゃんと認めるだけで良かっただけ。そんな簡単なことだけど、私にはできていなかったんですよね〜。この事に『気付けた』ということ自体が、とてつもない大きなギフトでした。

そうやって自分の中にある、こじらせ概念(笑)に気付くたび、私はまたひとつ軽やかになっていくんだなぁと感じています。

正直言うと、私はいまだに人間がちょっと苦手です。(唐突)

いろんな人といると、いろんな人の感情が入ってきて疲れちゃうし、そんなんだから警戒心も強いタイプだし。

でも最近痛感しているのは、どでかい気付きや学びって人間関係の中にこそあるということ。(人との出会いで人生が変わることは多々ありますよね)

今回の気付きだって、『人との触れ合い』の中で得られたものだったじゃないか…!人に対してビクビクしてる私ですけど、ちょっとずつ、ちょっとずつ、チラチラ覗き見ながら、これからも人との距離感を掴んでいきたいと思います(笑)

(今回話題に挙げた美容師さん。私とは真逆の性質みたいな方なのですが、詳しく話を聞くと、いつも、どんな些細なことでも、家族や周りの人が祝ってくれていたとのこと。素敵…。それに、ちゃんと自分で自分にご褒美あげたり祝ったりもするよ、ともおっしゃっていました。『誰かに求めるのではなく、自分の面倒は自分で見る。』この意識大切だなと改めて考えさせられました。)

どんな自分にも優しくありたいと思った

自分の絵に対して言えば、やっぱりまだまだだなと正直思います。自分が描く理想と今の自分の力の間には、まだまだ差がある。でもそれが今のベストなのだから仕方がない。

現在地点を否定のスタンスでとらえるのではなく、『伸びしろがある』とか『どんどん未知の自分と出会える』と考えたり、他の人から見たら些細なことでも大袈裟に自分を褒めてあげる。そういう在り方の方が、単純に考えて『幸せ』だと思います。だって『目標到達が幸せ』ってしちゃうと、それ以外のプロセスは『不幸せ』ってなりがち。まだか〜まだ辿り着けないのか〜って、いっつも不幸せな気持ち。結果ではなくプロセスを楽しむことこそが、簡単に幸せになれる方法だなと感じます。「この数値以上が幸せの領域です」みたいな”幸せ基準”はないのだから、だったら自分が感じる小さなことでも無邪気に素直に喜べばいいだけ。

なんなら『ご飯が美味しい』だって幸せです。『朝目が覚めた』だって幸せ。『今ここにいる』だけでも幸せ。それだと毎日幸せってことになりますよね?最高。

幸せって実は『いかに気付けるか?』それだけな気がします。

そう思えないのは、幸せのハードルが高すぎる=自分に厳しいから。

今すぐ幸せを選んで良いんです。どんな時でも自分を幸せにできるのは自分だけだから。

ということで、この一件を機に、欲しかった画材を自分へのご褒美に購入することにしました。早速明日買いに行こう(^^)♡

今回の記事の結論。

私はただただ、もっと自分に優しくしてあげたかっただけみたいでした。

こじらせ度合いに例えば検定があったら、間違いなく私は1級取得できるかも笑

何気ない日々にこそ『気付き』で溢れてる

今回の件で気づいた『自分に厳しい』という在り方に気づいて、やっと手放せた出来事でした。

人それぞれ抱えているものは違いますが、それがどんなものにしろ、長年抱えていた感情って無理やり力任せで無くそうとしても無駄で、こんな風に自然と手放せる(気付く)タイミングが来ます。それも今回学んだこと。『流れ、タイミング』ですね。

美容院へ行くというのは何気ない日常の一コマ。どこにどんな気付きがあるのかわからないものですね。事実は小説よりも奇なり。悲喜交々。気付いて、手放して、軽くなる。こういう体験をしたくて、私はここにいるのかなってフと思った午後でした。

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今乃かおり
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