ネガティブ・ワルツ

怒り、嫉妬、罪悪感、無価値感etc…。”ネガティブ”と呼ばれるこれらの感情は、決して心地良いものではない。

以前の私はこのネガティブたちを盛大に忌み嫌い、消し去るものだと思ってた。

綺麗なものが好き。純粋なものが良い。

以前の私の奥深くには「キレイなもの(ポジティブ)だけが愛なんだ」という概念が根深くあった。

ネガティブを直視できなくて苦しんで…。ネガティブのトリセツがわからず、ほとほと困り果てていた。

でも私はある時、”なんでもノート”というツールと運命の出会いを果たすことになって。

Azusa Kさんという方が提唱している、”なんでもノート”。Azusaさんのわかりやすい説明のおかげで、少しずつだけど自分の内側を覗くことができるようになっていった。

それでやっと気付いた。

ネガティブは絶えず私に『本当はどうしたいの?』と問い続けていたということに。

例えば不満や怒りが出た時。『こんなことされて、なぜ不満なのか?なぜ怒りが湧いているのか?』それがトリガーになって、『じゃあどうしたいの?』という本音が見えたから。

蓋を開けてみたら、実は本音って、『ただただ優しくしてほしかった』のような、びっくりするぐらい子供っぽい自分だったり、はたまた『えっ、こんな気持ちがあったんだ!』みたいな新しい自分を見つけたり。

ネガティブというもは、忘れていたいくつもの可能性への扉のようなものかもしれない。ピュアな感性、自分はなんでもできるという可能性と自信、忘れていた能力、本当の夢。ネガティブを捉え、見つめ続けることで、自分自身がどんどんアップデートされていった。

ネガティブと向き合い続けていくうちに、ネガティブへの捉え方がかなり変わっていた。

捉え方が変わると、世界を見る目も大きく変わっていた。

苦痛しかない世界と思っていたけれど、喜びはすでにたくさんあって、それに気付けるか・気付けないかだけだったんだとわかった。『ずっと世界は同じで、ただ私次第なだけだったんだ』ということに…。

目が醒めるような感覚。

やっとこの世界に生まれたような感覚。

私はずっと閉ざしていたんだな…と改めて思い知った。

闇は消えない、消し去れない。ネガティブへの対処法は『ポジティブもネガティブも、どっちもあって良いんだ』と許容することが要だった。

例えば、数多の映画や物語で語り継がれてきた光と闇の抗争。両者の『自分が正しい』という主張が、結局は争いを生んできた。だから、お互いを赦しあって、認め合って、お互いの真ん中を探っていくことが必要だった。世界の大きな争いも、隣人との軋轢も、全部は”真ん中”がポイントなのかも知れない。

光と闇は常にある。背中合わせで存在し続けるから。だから全て赦していく。あって良い。光も闇もないまぜの状態が本来の姿なんだろうな、きっと…。

~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~✴︎~

料理をよくするせいか、『なんだかこれってブイヨンみたい』と唐突に思った。

悲しみも、怒りも、絶望も、喜びも、優しさも、希望も、全てが一緒くたに溶けている様を想像したら、それはもう複雑で、味の奥行きや深みがすごそうなスープだ。

ポジティブだけで作られたスープなんぞ、きっと味気ないったらありゃしない。

『ネガティブは、スープに複雑さと深みを加えてくれる秘伝のスパイスみたいなもの』。そう思うと悪くないのかもなぁ。

人生も一緒。

酸いも甘いもたくさんのカラフルな体験をするからこそ、本来の広大な無限の意識の自分を憶い出していける。

ネガティブは美しかったんだなぁ。

その気付きは私を大きく解放してくれた。やっとスタートに立てて嬉しかった。

私も、あなたも、いつか必ずたどり着くゴール。

その時まで私は、これからもポジティブもネガティブも抱えたまま生きてゆく。

ポジティブとネガティブ。私と魂とハイヤーセルフ。

互いに手を取り合って、命という音楽に身を任せながら、まるでワルツでも躍るかのように。

永遠のような時間の中を、いつまでもいつまでも一緒に…。